「乾杯は、とりあえずビールで」——注文を聞かれる前にこの一言が飛び出す光景は、日本の宴席では珍しくありません。この定型句はいつ生まれ、なぜここまで定着したのか。そして、いまその景色はどう変わりつつあるのか。この記事では、確認できる範囲の資料をもとに「とりあえずビール」の来歴をたどり、この言葉が長く担ってきた機能を分解したうえで、一杯目の選び方が多様化しているいまの現在地を整理します。SHIRAFUはとりあえずビールを裁きません。ビールを選ぶ人も選ばない人も、同じ場で気持ちよく乾杯できることが目的です。
この記事の要点
- 「とりあえずビール」は1955年ごろからの高度経済成長期に定着したと複数のメディアが説明していますが、いつ・誰が言い始めたかを示す一次資料は確認できません
- ビールの成人1人当たり消費量は2013年度の25.7Lから2023年度は21.5Lへ約17%減少しています(国税庁「酒のしおり」)
- 酒類小売チェーン・カクヤスの調査(有効回答369人)では「とりビー」派は約7割。ただしその理由の約6割は「ビールが飲みたいから」で、単純な同調ではなく好みという回答が最多でした
- 40代以上を対象にしたNEXERの調査(2025年3月)では48.7%が「とりあえずビールから頼む習慣はない」と回答しています
- 「とりあえず」が担ってきた機能を分解すると、ビールでなくても満たせる部分と、ビールだからこそ良い部分の両方が見えてきます
「とりあえずビール」はいつから始まったのか
「とりあえずビール」という言い回しがいつ、誰によって最初に使われたのかを示す一次資料は見当たりません。複数のメディアが共通して指摘しているのは、この習慣が1955年ごろから始まった高度経済成長期に定着したとされる、という点です。経済メディア「THE GOLD 60」(幻冬舎ゴールドオンライン)は、それまで宴席でよく飲まれていた燗酒に比べ、ビールは注文後すぐに提供できたことが受けた、という説明を紹介しています。
この時期にビールの消費量そのものが急増したことは、ビールメーカー自身の記録からも確認できます。キリンホールディングスが公開する社史「キリン歴史ミュージアム」によれば、国民1人当たりの年間ビール消費量は1951年の3.8本から、1955年には7.1本、1960年には14.8本、1965年には30.9本へと、10年余りで4倍以上に増えています。1956年の経済白書で「もはや戦後ではない」という言葉が話題になった、いわゆる神武景気のころから、家庭でビールを飲む層が急速に広がっていったとされています。所得が伸び、ビールが一部の富裕層のものから庶民の日常に降りてきた時期と、「とりあえずビール」という言い回しが定着したとされる時期は重なっています。無礼講や乾杯、飲みニケーションといった、日本の宴席にまつわる他の作法や言葉がいつ・どんな文脈で生まれたのかは、無礼講・式三献・乾杯 — 日本の「飲み方の作法」はいつ生まれたのかで通史として整理しています。
なお、日本経済新聞の日経MJも2023年10月に「宴席の1杯目、なぜ『とりあえずビール』?」という特集記事を組んでおり、この定型句の由来自体が令和のいまも取材対象になり続けています。それだけ起源がはっきりしない、日本人にとって謎めいた習慣であることの裏返しとも言えるでしょう。起源を一つの逸話に断定せず、「戦後の高度成長期に、提供の速さと大衆化が重なって定着したとされる」という距離感で捉えておくのが、現時点で誠実な理解だと考えています。
データで見る「とりあえずビール」の現在地
数量ベースで見ると、ビールの消費そのものは長期的に減少しています。国税庁「酒のしおり(令和7年7月)」によれば、成人1人当たりのビール消費量は2013年度の25.7Lから2023年度には21.5Lへと、約17%減少しました。この長期推移の全体像は日本のアルコール消費量はどれだけ減った?国税庁データで解説で詳しく扱っています。
続けて「とりあえずビール」という注文行動そのものについても、複数の調査が変化を捉えています。
| 調査・出典 | 対象 | 指標 | 数値 | 発表時期 |
|---|---|---|---|---|
| 酒類小売チェーン・カクヤス | 全年代、有効回答369人 | 「とりビー」派の割合 | 約7割(「時と場合による」を含めると約9割) | 2022年2月報道 |
| 同上 | 同上 | 「とりビー」を選ぶ理由 | 「ビールが飲みたいから」約6割(218人)/「周りに合わせて」約6%(22人) | 2022年2月報道 |
| 株式会社NEXER | 40代以上男女630人 | 「とりあえずビールから頼む習慣はない」 | 48.7% | 2025年3月 |
| ぐるなび通信 | 全国20〜69歳1,209人 | 「特別なときや乾杯のときに飲む程度」 | 36.7%(過去15年で最大) | 2025年7月調査分 |
| Deep Growth Partners(サークルアップ) | 大学生150人 | 居酒屋の一杯目ランキング | 1位レモンサワー、2位「飲まない」、3位生ビール | 2023年3月調査 |
この数字から見えてくるのは、単純な「ビール離れ」ではなく、二つの異なる変化が同時に進んでいるという構図です。一つは、とりあえずビールという「注文の型」そのものへの違和感の広がりです。NEXERの調査では約半数が、この習慣を自分の中に持っていないと答えています。もう一つは、そもそも一杯目に何を選ぶかという選択肢の多様化です。大学生を対象にしたサークルアップの調査では、一杯目としてレモンサワーがビールを上回りました。
一方で、見落とせないのがカクヤスの調査結果です。「とりビー」派と答えた人の理由として最も多かったのは「社会の風潮だから」でも「周りに合わせて」でもなく、「ビールが飲みたいから」という単純な好みでした(約6割)。つまり、「とりあえずビール」を選ぶ人の多くは、同調圧力に流されているというより、率直にビールが好きで選んでいるという実態も、同じデータの中に含まれています。若い世代の飲酒動向全体についてはZ世代はなぜ飲まないのか|国内外データで読む酒離れで詳しく扱っていますが、「若者はビールを嫌っている」という単純化も、「みんな同調で飲んでいる」という単純化も、どちらもデータの一部しか見ていないことになります。
「とりあえず」が担ってきた3つの機能を分解する
「とりあえずビール」という一言が長く支持されてきたのは、単なる慣習だからというより、いくつかの実用的な機能を同時に果たしていたからだと考えられます。ここでは3つの機能に分解し、それぞれがビールでなければ満たせないものなのかを見ていきます。
(a) 注文を速くする機能。 前述のとおり、ビールが選ばれた歴史的な理由の一つは、燗酒より短時間で提供できたことだったとされています。全員が同じ一杯を頼めば、一人ひとりの好みを聞いて回る手間も省けます。ただし、この機能はいまの飲食店にはあまり当てはまりません。生ビールサーバーと同じように、ドリンクディスペンサーやノンアルコール飲料、ソフトドリンクも即座に提供できる店がほとんどです。「速さ」という理由だけでビールを選ぶ必然性は、令和のいまはかなり薄れていると言えます。
(b) 場を同期させる機能。 乾杯の瞬間、全員が同じタイミングでグラスを掲げるという所作には、その場にいる全員が同じ動作をすることで一体感を作る、同調の機能があります。ただし、この機能の本体は「同じ動作をすること」であって、「同じ中身を飲むこと」ではありません。グラスを掲げ、目線を合わせ、「乾杯」の発声に合わせて口をつけるという所作自体は、中身がノンアルコールでも何も変わらないからです。乾杯の中身をどう差し替えるかという具体的な技術は、『乾杯だけ』問題の解き方 — 一杯目からノンアルにする技術にまとめています。
(c) 上下関係を滑らかにする機能。 上司や取引先を含む席で、部下や若手が「私は別のものを」と言い出しにくい空気は、長らく存在してきました。全員が同じ一杯目を頼めば、誰も個別に希望を主張しなくて済み、その場の摩擦は起きません。しかし、この機能はいま逆向きに働き始めています。マネーポストWEBの取材に応じた50代の会社員は、「『とりあえずビール』の強要は、1杯目の自由を奪うどころかパワハラやアルハラとしても受け取られかねない時代です」と語っています。かつて摩擦を減らすために機能していた同調が、いまは別の形の摩擦(飲酒の強要)を生むリスクとして意識されるようになった、というのがこの機能の現在地です。アルハラの定義や、断ることが権利として認められている根拠までを体系的に整理した記事はアルハラ(アルコールハラスメント)とは?にまとめています。
いまの作法 — ホスト側とゲスト側、それぞれの振る舞い方
ホスト側(幹事・上司側)にとっての作法は、全員が同じものを頼むことを前提にしないことです。乾杯の号令をかける前に「今日は皆さん好きなものをどうぞ」と一声添えるだけで、上下関係の潤滑という機能を、強制ではなく選択の形で果たすことができます。
ゲスト側にとっての作法は、一杯目の中身を自分で選ぶ技術を持っておくことです。乾杯の直前になって迷うと、周囲に流されて「とりあえず生」と言ってしまいやすくなります。着席直後の最初のオーダーで、乾杯の一杯もあらかじめ決めておくと迷いが生まれません。ノンアルコールビールを選べば見た目はほとんど変わらず、場の同期という機能もそのまま保てます。銘柄ごとの違いはノンアルコールビール比較ガイドを、注文のタイミングと所作は『乾杯だけ』問題の解き方を参考にしてください。飲む人・飲まない人、あえて飲まない人それぞれが選べる場を作ろうという考え方は、スマドリ・ソバキュリ・微アル — 「飲まない文化」の新語辞典で扱っている用語とも重なります。
よくある質問
「とりあえずビール」はいつから始まったのですか?
明確な起源を示す一次資料は確認できていません。複数のメディアが、1955年ごろからの高度経済成長期にビールが大衆化し、燗酒より短時間で提供できた点が定着の背景になったと説明していますが、これは「〜とされる」という距離感で理解しておくのが妥当です。
とりあえずビールを選ぶ人は、周りに流されているだけなのですか?
一概にはそう言えません。酒類小売チェーン・カクヤスの調査では、「とりビー」を選ぶ理由として最も多かったのは「ビールが飲みたいから」という単純な好みで、「周りに合わせて」と答えた人は全体の1割に満たない結果でした。
「とりあえずビール」離れは本当に進んでいるのですか?
40代以上を対象にしたNEXERの調査では約半数が「とりあえずビールから頼む習慣はない」と回答し、大学生を対象にした別の調査では一杯目にレモンサワーを選ぶ人がビールを上回るなど、複数の調査で変化が確認できます。ただし、ビールそのものへの支持がなくなったわけではありません。
乾杯の一杯目をビール以外にするのはマナー違反ですか?
マナー違反ではありません。グラスを掲げ、目線を合わせて乾杯の発声に合わせるという所作を保っていれば、中身がノンアルコールや別のドリンクであっても場の一体感は損なわれません。具体的な進め方は『乾杯だけ』問題の解き方で紹介しています。
まとめ
「とりあえずビール」は、戦後の高度経済成長期という時代背景の中で、注文の速さ・場の同期・上下関係の潤滑という3つの機能を同時に果たしてきた、合理的な習慣だったと考えられます。データを見る限り、この習慣そのものが消えつつあるわけではなく、いまも「ビールが好きだから」選ぶ人が多数派であることに変わりはありません。変わったのは、「とりあえず」の中身を全員が同じにする必要がなくなった、という一点です。速さも、場の一体感も、上下関係への配慮も、ビール以外の一杯で満たせる場面が増えたいま、とりあえずビールを選ぶことも、選ばないことも、どちらも同じように自然な選択です。「とりあえず」が全員同じでなくていい時代になった——それが、この習慣のいまの現在地だとSHIRAFUは考えています。
参考文献
- キリン歴史ミュージアム「酒・飲料の歴史 ビールが家庭に(1)高度経済成長で急伸した家庭消費」https://museum.kirinholdings.com/history/theme/b14_09a.html
- THE GOLD 60(幻冬舎ゴールドオンライン)「いわれてみれば“謎文化”…『とりあえずビール』はいつから始まったのか」https://gentosha-go.com/articles/-/59363
- 日本経済新聞(日経MJ)「宴席の1杯目、なぜ『とりあえずビール』?」2023年10月9日 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC151UQ0V10C23A8000000/
- 神戸新聞NEXT/まいどなニュース「どうして、みんな『とりあえずビール』なの? “日本文化”の起源を解明すべく、酒類小売り業者が調査」(カクヤス調査、有効回答369人)https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/omoshiro/202202/0015091539.shtml
- 株式会社Deep Growth Partners(サークルアップ)「【Z世代のリアルなホンネ調査】若者のビール離れが深刻化。Z世代には『とりあえずレモンサワー』が定着。」(2023年3月、大学生150人対象)https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000057.000033607.html
- 株式会社NEXER「『とりあえずビール』は減少傾向?40代以上が気を付ける令和の飲み会事情」(2025年3月3日〜10日、40代以上男女630人対象)https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001559.000044800.html
- ぐるなび通信「2025トレンド『ドリンク』調査!消費者アンケートから見る"乾杯程度"の存在感」(2025年7月1日〜3日、全国20〜69歳男女1,209人対象)https://pro.gnavi.co.jp/magazine/t_res/cat_7/a_4594/
- 国税庁「酒のしおり(令和7年7月)」付表 酒類販売(消費)数量の推移表 https://www.nta.go.jp/taxes/sake/shiori-gaikyo/shiori/2025/pdf/0014-2.pdf
- マネーポストWEB「『私はレモンサワー』『私は烏龍茶』一段と進行する“とりあえずビール”離れ、背景にパワハラやアルハラ回避の思惑も」https://www.moneypost.jp/1066592
※本記事のデータは2026年7月時点で確認した公開資料に基づきます。最新値は各出典をご確認ください。