「乾杯」の号令で全員がグラスを掲げる。目下の人がお酒を注いで回る。上司からの酌は両手で受ける——こうした所作は、多くの日本人にとって「昔からの日本の伝統」のように感じられます。しかし一つひとつの由来を遡ると、思いのほか新しく、特定の時代の事情から生まれたものが少なくないことが分かります。「無礼講」という言葉は鎌倉時代のある政変をきっかけに記録に現れ、「乾杯」は幕末から明治にかけて西洋から輸入されたとされ、「飲みニケーション」に至っては1980年代という、つい最近の造語です。この記事では確認できる一次資料と学術的な議論を辿りながら、日本の「飲み方の作法」がいつ、どんな文脈で生まれたのかを整理します。目的は文化を裁くことではなく、変わり続けてきた歴史として捉え直すことです。
この記事の要点
- 「無礼講」の初出は1324年の『花園天皇宸記』で、後醍醐天皇の討幕計画との関連は約半世紀後の軍記物語『太平記』(1370年頃)による記述であり、近年の歴史学ではこの因果関係に疑問が呈されている
- 武家の酒礼「式三献」は室町時代に確立したとされ、平安貴族の大饗における盃の作法が源流とされる
- 「居酒屋」という言葉は江戸時代、酒屋の店先で飲む「居酒(いざけ)」に由来し、文政年間(1818〜1830年)には江戸市中に1800軒以上あったとされる
- 「乾杯」は幕末〜明治期に西洋から取り入れられたとされるが、よく紹介される「1854年・エルギン伯爵」の逸話は年代と人物の対応に矛盾があり、一次資料での裏付けは確認できない
- 「飲みニケーション」という言葉が全国紙面に登場したのは1980年代前半で、比較的新しい和製語
「注がれたら飲む」はいつからの作法なのか
日本の宴席には、暗黙のうちに共有されている所作がいくつもあります。乾杯の号令で全員が一斉にグラスを掲げること。上司や目上の人からの酌を両手で受けること。「今日は無礼講だから」と言われて初めて肩の力を抜くこと。これらは意識されないまま「昔からそうだから」という理由で受け継がれていますが、実際に由来をたどると、それぞれ全く異なる時代・文脈から生まれていることが見えてきます。まずは、酒がもっとも古くから担ってきた役割——神事における酒——から見ていきます。
神事と酒 — 御神酒と直会という原点
日本における酒と儀礼の結びつきをたどるとき、もっとも古い層にあるのが神事です。神社本庁の公式サイトによれば、祭りの最後に神前へ供えた酒や食物を、神職と参列者が一緒にいただく「直会(なおらい)」という儀式があります。これは単なる打ち上げの宴ではなく、祭典そのものの一部として位置づけられており、神に供えたものをいただくことで神々の恩頼をいただき、神と人が一体となることに本質的な意義があるとされています。語源については「なおりあい」、つまり祭りのために心身を清めていた状態(斎戒)から、もとの生活に戻る「直る」ことを示すという説が紹介されています。今日「御神酒(おみき)をいただく」という所作は、この直会の系譜にある習慣です。共同体で酒を分け合うことが「儀礼」として制度化されていたという点で、後述する武家の酒礼や現代の乾杯とも、根っこの部分でつながっていると言えるかもしれません。
「無礼講」はいつ、なぜ生まれたのか — 鎌倉時代の逸話と後年の異論
「今日は無礼講で」という言葉は、身分や序列を気にせず自由に飲もう、という意味で現代でも使われます。この言葉の起源は、確認できる限りでは鎌倉時代末期までかなり明確に遡ることができます。
最古の記録は、1324年(正中元年)11月1日の『花園天皇宸記』(花園法皇の日記)です。ここには、公家の日野資朝・日野俊基らが身分にふさわしくない服装、「不着衣冠、殆裸形(衣冠を着けず、ほとんど裸形)」で茶会を開いたことが記されています。この年の9月には、後醍醐天皇による討幕計画が発覚した「正中の変」が起きており、資朝・俊基はこの計画への関与を疑われていました。
この出来事が「無礼講」と後醍醐天皇の討幕計画を結びつける逸話として広く知られるようになったのは、事件から半世紀近く後、1370年頃に成立した軍記物語『太平記』によってです。同書の「無礼講事付玄恵文談事」の章では、後醍醐天皇自身が薄着の若い女性たちに酌をさせる酒宴を開き、身分の上下を取り払った席で討幕の謀議を進めていた、という劇的な場面として描かれています。
ただし、この『太平記』的な物語がそのまま史実だったかについては、近年の歴史学から疑問が呈されています。歴史学者の河内祥輔氏や呉座勇一氏らは2000年代以降、花園法皇自身の同時代記録には討幕計画への言及がなく、あくまで風紀上の問題として書かれていること、政敵にも把握されるような公開の会合で謀議を進めるのは不自然であることなどを指摘しています。鎌倉幕府が資朝・俊基の拘禁を続けるための口実として、この「無礼講」的な会合が利用された可能性がある、という見方も示されています。
つまり「無礼講という言葉自体が、身分を超えて自由に飲む席を指す言葉として鎌倉時代末期の記録に現れる」ことは確認できる一方、「それが討幕の陰謀の隠れ蓑だった」という物語は、後世の軍記物語による脚色を含んでいる可能性が高い、というのが現時点で誠実な理解と言えそうです。身分を超えて自由に振る舞える宴、という「無礼講」の核となる発想自体が、鎌倉幕府という秩序への異議申し立てと隣り合わせの文脈で記録に残った言葉だった、という点は変わりません。
式三献 — 武家の酒礼と「固めの杯」
「無礼講」が身分を取り払う酒宴だったのに対し、同じ時代からその後にかけて発展したのが、身分秩序をむしろ確認・強化するための酒礼でした。それが「式三献」です。
一般社団法人日本食文化会議のコラムによれば、式三献の源流は平安貴族の饗宴、特に藤原氏の大臣就任を祝う「大臣大饗」における盃の作法にあるとされます。主人がまず盃を取って祝い、続いて上位の者から公卿一同へと盃が三度巡る——この作法が室町時代の足利将軍家における武家儀礼として受け継がれ、「式三献」という形に整えられていったと説明されています。式三献は、主君と家臣が同じ盃で酒を酌み交わすことで、主従関係の結びつきを確認・強化する意味を持つ儀式でした。出陣の際には打ち鮑・勝ち栗・昆布を肴に三度ずつ酒を飲み干す作法もあったとされ、語呂合わせの験担ぎも込められていたようです。この式三献の形式は、現代の結婚式で行われる「三三九度」にもその名残がうかがえます。
無礼講が「身分を外す」ための酒であったのに対し、式三献は「身分を確認する」ための酒でした。この対照的な二つの機能——場を平らにする酒と、序列を固める酒——は、形を変えながら現代の飲み会にも引き継がれているように見えます。
居酒屋の誕生 — 「居酒(いざけ)」という言葉と江戸の庶民酒文化
武家や公家の儀礼としての酒とは別に、庶民が日常的に酒を楽しむ場として発展したのが居酒屋です。もともと酒屋は酒を量り売りする小売店でしたが、その場で飲ませるようになったことから「居酒屋」という業態が生まれました。「居酒(いざけ)」とは、酒屋に居続けて飲むことを指す言葉で、店先で飲ませる酒屋は「居酒致し候」という貼り紙を店頭に出し、飲ませない酒屋と区別していたとされています。
この居酒屋文化が本格的に発展したのは江戸時代です。18世紀中頃には居酒をさせること自体を本業とする酒屋が現れ、江戸後期の文政年間(1818〜1830年)には、江戸市中に1800軒以上の居酒屋が存在したとされています。背景には、参勤交代や出稼ぎで江戸に集まった単身男性の多さがあり、手軽に酒と食事を済ませられる居酒屋への需要は大きかったと考えられています。当時の居酒屋には机や椅子がなく、立ち飲みが基本でした。近年流行している立ち飲みスタイルの店は、いわば江戸時代の飲み方への先祖返りとも言えます。
「乾杯」はいつ日本に来たのか — 諸説の矛盾を確かめる
現代の宴席で欠かせない「乾杯」という所作は、実は江戸時代までの日本にはなかったとされる習慣です。複数の資料が共通して指摘しているのは、江戸末期に西洋との接触を通じてもたらされ、明治から大正にかけて一般化していったという大枠です。
言葉自体がいつから使われていたかについては、辞書という比較的確かな裏付けがあります。1909年(明治42年)の和英辞典では英語の"toast"と同義の語として、1915年(大正4年)の『大日本国語辞典』には「杯の酒を飲み乾かすこと」として、それぞれ「乾杯」が収録されています。少なくとも明治末から大正にかけて、この言葉が一般に通用する語として定着していたことは確認できます。
一方で、「誰が最初に乾杯という所作を持ち込んだか」については、複数のウェブ記事で「1854年(安政元年)、日英和親条約の締結にあたり来日したイギリスのエルギン伯爵が、国王の健康を祝して杯を交わす習慣を紹介し、幕府側の井上清直がこれに応じて『乾杯』と発声した」という逸話が繰り返し紹介されています。ただし、この逸話には年代と人物の対応に矛盾があります。1854年の日英和親条約を締結したイギリス側代表はスターリング提督であり、エルギン伯爵(ジェームズ・ブルース)が来日して条約を結んだのは、それとは別の日英修好通商条約が締結された1858年のことです。この食い違いから見て、「1854年・エルギン伯爵」の逸話は、二つの異なる条約交渉の記憶が後年混同されて広まった俗説である可能性が高く、一次資料による裏付けも確認できません。
もう一つ紹介されることが多いのが、ペリー提督の艦上での宴席を幕府役人が見聞きしたという説です。ペリー自身が著したとされる『日本遠征記』に宴席での乾杯の様子が記されており、これに幕府役人が影響を受けたのではないか、という推察が複数の資料で紹介されています。こちらも推察の域を出ませんが、少なくとも黒船来航(1853年)前後の日米・日英交渉の場が、日本人が西洋式の乾杯に触れる最初期の機会だったこと自体は、複数の資料で一致しています。
言葉が広まる過程については、明治末期の西洋式祝宴で当初使われていた「万歳」が、本来は天皇への祝賀を意味する言葉であるため一般の祝宴にはそぐわないとして、代わりに「乾杯」が選ばれていったという説明もあります。これも後年の推察に近いものですが、号令が定着していく過程の一つの説明として紹介しておきます。
整理すると、「乾杯という言葉と所作が江戸末期から明治にかけて西洋経由で日本に定着していった」という大きな流れは複数の資料で一致している一方、「誰が最初にやったか」という具体的な逸話は諸説が乱立し、なかには年代の矛盾を含むものもある、というのが現時点での誠実な理解です。
「飲みニケーション」はいつの言葉か — 高度成長期から接待文化へ
戦後、日本の飲み会文化を語るうえで欠かせない言葉が「飲みニケーション」です。「飲み」と英語の"communication"を組み合わせた和製語で、酒を酌み交わしながら人間関係を深める、という意味で使われます。
この言葉が生まれた土壌は、1960年代の高度経済成長期にあるとされています。この時期、職場の飲み会が人間関係の潤滑油として一般化していったことが背景にあり、「とりあえずビール」の定着とほぼ同じ時代背景を共有しています。「飲みニケーション」という言葉そのものが全国紙面に登場したのは、それよりやや遅れた1980年代前半とされています。ある資料は1982年の日経産業新聞の記事を、別の資料は1984年の朝日新聞の企業幹部インタビュー記事を、それぞれ初出の候補として紹介しており、正確な時期は資料によって揺れますが、1980年代前半という点は共通しています。「無礼講」が鎌倉時代、「乾杯」が明治期の言葉であるのに対し、「飲みニケーション」はごく最近——せいぜい40年ほど前に生まれた言葉だということになります。
社用族という言葉に象徴されるように、接待や社内の飲み会が仕事の一部として位置づけられていった戦後の企業文化のなかで、この言葉は広く定着しました。一方で、飲みニケーションを名目にした説教や、参加を事実上強制する空気が問題視されるようにもなり、令和の現在ではこの言葉自体への評価が分かれています。
通史年表 — 確認できる主な出来事
| 時期 | 出来事 | 出典 |
|---|---|---|
| 時期不明(古代〜) | 神事における御神酒・直会という酒礼が成立 | 神社本庁 |
| 1324年(正中元年) | 『花園天皇宸記』に「無礼講」的な会合の記録(討幕計画との関連は『太平記』による後年の脚色の可能性) | 花園天皇宸記/太平記(1370年頃) |
| 室町時代 | 武家儀礼「式三献」が確立(源流は平安貴族の大臣大饗) | 日本食文化会議 |
| 18世紀中頃 | 江戸で「居酒(いざけ)」を専業とする酒屋=居酒屋が出現 | 各種資料 |
| 文政年間(1818〜1830年) | 江戸市中に居酒屋1800軒以上 | 各種資料 |
| 1853〜58年ごろ | ペリー来航・日英条約交渉を通じ、西洋式「乾杯」が知られ始める(具体的な逸話は要検証) | 各種資料 |
| 1909〜1915年 | 辞書に「乾杯」の語が収録される | 和英辞典(1909)/大日本国語辞典(1915) |
| 1955年ごろ〜 | 高度経済成長期、「とりあえずビール」が定着したとされる | キリン歴史ミュージアム等 |
| 1980年代前半 | 「飲みニケーション」が全国紙面に登場 | 日経産業新聞/朝日新聞(諸説) |
現代のデータ — 変わりゆく飲み会文化
厳格な作法や慣習の一方で、現代のデータを見ると、飲み会そのものの形は急速に変わりつつあります。厚生労働省の調査によれば、週3回以上飲酒する「習慣飲酒者」の割合は、男性で平成元年(1989年)の51.5%から令和元年(2019年)には33.9%へと、30年間で約18ポイント低下しています。日本全体の酒類消費量の推移は日本のアルコール消費量はどれだけ減った?国税庁データで解説で詳しく扱っている通りです。
「とりあえずビール」という、高度成長期に定着したとされる一杯目の型そのものにも変化が見られます。40代以上を対象にしたNEXERの2025年調査では、48.7%が「とりあえずビールから頼む習慣はない」と回答しており、「とりあえずビール」はどこから来たのかで見た通り、一杯目の選び方は多様化しています。
若い世代に目を向けると、Z世代はなぜ飲まないのか|国内外データで読む酒離れで扱った通り、米国Gallupの調査では18〜34歳の飲酒率が2023年の59%から2025年には50%まで下がっています。国内の調査でも、上司が同席する飲み会は「気まずい」と答える割合が「楽しい」を大きく上回る一方、同世代同士の飲み会への抵抗感は低いという結果が出ています。若い世代が距離を置いているのは酒そのものというより、上下関係を前提にした場の設計である可能性が高い、という見立ては先の記事でも紹介した通りです。
酌をする・されるという所作についても、歴史的には性別による役割分担が長く意識されてきましたが、これは酒文化そのものというより、接客業や職場慣習の歴史とも重なる複雑な話です。確かなのは、「誰が注ぐべきか」という固定的な役割そのものが、令和の宴席では以前ほど当然視されなくなっている、という変化です。断りにくさを感じる酌の場面での具体的な対応は、飲み会の断り方15選で扱っています。
「伝統」と呼ばれる作法の多くは、実は新しい
ここまで見てきたように、「日本の飲み方の作法」とひとくくりにされるものの中には、成立した時代も文脈もまったく異なるものが混在しています。神事の直会は千年単位の古層に、無礼講という言葉は鎌倉時代末期の政変に、式三献は室町時代の主従儀礼に、居酒屋という業態は江戸時代の都市文化に、そして乾杯や飲みニケーションに至っては明治以降、なかには戦後生まれの、比較的新しい習慣です。これらが「ずっと昔からの日本の伝統」として一つに束ねられて語られること自体が、実はやや不正確な理解だと言えそうです。
伝統だと思われている作法の多くが、実はある時代の特定の事情——身分秩序、主従関係、都市への人口集中、西洋との外交、高度経済成長期の職場文化——から生まれた、比較的新しいものだったとすれば、それは「変えてはいけないもの」というより「時代とともに変わってきたし、これからも変わってよいもの」だと捉え直せるはずです。飲む人も、飲まない人も、乾杯の中身が何であっても同じ格で座れる宴席へ——それは伝統を壊すことではなく、この記事で見てきた変化の歴史の延長線上にある、ごく自然な次の一歩だとSHIRAFUは考えています。
なお、こうした作法が育った背景には、公共の場での飲酒を法律で禁じてこなかった日本特有の制度的な余白もあります。この点は日本はなぜ『酔い』にこれほど寛容なのかで国際比較とともに整理しています。
よくある質問
「無礼講」は本当に討幕の陰謀の隠れ蓑だったのですか?
断定はできません。1324年の『花園天皇宸記』には身分にふさわしくない服装で開かれた会合の記録がありますが、これを後醍醐天皇の討幕計画と結びつける物語は、約半世紀後に成立した軍記物語『太平記』による記述であり、河内祥輔氏や呉座勇一氏ら近年の歴史学からは、この因果関係に疑問が呈されています。
「乾杯」はいつから日本にある習慣ですか?
江戸末期から明治にかけて西洋から取り入れられ、明治末から大正にかけて一般に定着していったとされています。「1854年にエルギン伯爵が持ち込んだ」という逸話がよく紹介されますが、年代と人物の対応に矛盾があり、一次資料での裏付けは確認できていません。
「飲みニケーション」はいつからある言葉ですか?
比較的新しい和製語です。職場の飲み会が一般化した1960年代の高度経済成長期を土壌に、言葉自体が全国紙面に登場したのは1980年代前半とされています。正確な初出は資料によって1982年説・1984年説などが分かれます。
式三献と三三九度は同じものですか?
式三献は室町時代に確立した武家の酒礼で、主従の結びつきを確認する儀式でした。現代の結婚式で行われる三三九度は、この式三献の形式の名残とされています。
昔の日本人はみんな「とりあえずビール」だったのですか?
いいえ。ビールが庶民に広まったのは高度経済成長期(1950年代後半以降)のことで、それ以前の宴席では燗酒が中心でした。「とりあえずビール」という定型句自体の起源にも一次資料の裏付けはなく、詳しくは「とりあえずビール」はどこから来たのかで扱っています。
まとめ
- 神事の直会・御神酒は千年単位の古層にある酒の儀礼、無礼講は鎌倉時代末期の政変を背景に記録された言葉で、討幕の陰謀との結びつきは後年の軍記物語による脚色の可能性が指摘されている
- 武家の式三献は室町時代に確立した主従の酒礼で、平安貴族の作法が源流とされ、現代の三三九度にその名残がある
- 居酒屋は江戸時代、「居酒(いざけ)」という言葉とともに発展し、文政年間には江戸市中に1800軒以上存在したとされる
- 乾杯は江戸末期〜明治期に西洋から取り入れられたとされるが、有名な起源逸話には年代と人物の矛盾があり、一次資料での裏付けは確認できない
- 飲みニケーションは1980年代前半に全国紙面へ登場した、比較的新しい和製語
- 「伝統」と呼ばれる飲み方の作法の多くは、特定の時代の事情から生まれた意外と新しいものであり、変わっていくことは自然な流れだと言える
参考文献
- 神社本庁「直会」https://www.jinjahoncho.or.jp/omatsuri/naorai/
- 「無礼講」Wikipedia(『花園天皇宸記』『太平記』の記述、河内祥輔氏・呉座勇一氏らの学説紹介を含む) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E7%A4%BC%E8%AC%9B
- 一般社団法人日本食文化会議「源流は公卿の酒宴にあり」(式三献の由来) https://jfcf.or.jp/musubiplus/appetizer09/
- 「居酒屋」Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%85%E9%85%92%E5%B1%8B
- BuzzFeed Japan「『乾杯は戦後につくられた言葉』SNSで拡散の情報は誤り」(乾杯の辞書掲載時期のファクトチェック) https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/kanpai-iyasaka-banzai
- ふじイベントサービス「近代まで日本にはなかった?!『乾杯』の習慣」 https://www.fuji-event.com/column/column021.php
- 毘沙門グループレストラン「日本の乾杯習慣はヨーロッパから来た?」(エルギン伯爵の逸話の紹介元の一つ) https://group.bishamon-ten.com/ja/japans-tradition-of-toasting/
- 「飲みニケーション」Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%B2%E3%81%BF%E3%83%8B%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3
- nippon.com「変わる『飲みニケーション』」(1984年朝日新聞説の紹介) https://www.nippon.com/ja/japan-topics/b11403/
- キリン歴史ミュージアム「酒・飲料の歴史 ビールが家庭に(1)」(ビール消費量・高度経済成長期の背景) https://museum.kirinholdings.com/history/theme/b14_09a.html
- 厚生労働省 e-ヘルスネット「わが国の飲酒パターンとアルコール関連問題の推移」(習慣飲酒者割合) https://kennet.mhlw.go.jp/information/information/alcohol/a-06-001.html
- 株式会社NEXER「『とりあえずビール』は減少傾向?」 https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001559.000044800.html
- Gallup「Young Adults in U.S. Drinking Less Than in Prior Decades」 https://news.gallup.com/poll/509690/young-adults-drinking-less-prior-decades.aspx
※本記事は公開されている一次資料・報道記事に基づき、2026年7月時点で確認できた内容を整理したものです。歴史的な逸話は諸説あるものを含み、年代や解釈は今後の研究で更新される可能性があります。